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尼崎医療生協のあゆみ

戦後の混乱のなか、新憲法のもとで、働く人々の立場に立った医療機関づくりが始まりました。1949年、わたしたちの出発点となる「ナニワ病院」が誕生。まだ健康保険のない時代でした。

1945年敗戦
激しい空襲。市内で42,000人余が被災。焼け野原、食べる物がない、住むところもない、働く場所もない。栄養失調、結核の蔓延。みんなが明日の暮らしにも困っていた。
新しい憲法がつくられ、主権が国民の手に。「自分たちの健康は、自分たちみんなで守ろう」と、市内の民主勢力が力をあわせて医療機関づくりをはじめた。
1949年ナニワ診の前身のナニワ病院設立
保険制度が無い中で、働く人々の健康相談、予防・治療にあたる。
1951年本田診療所開設
1952年尼崎市に「日雇労務者保険」制度をつくらせる。
※全国にひろがり1953年国の制度に!
1954年戸ノ内診療所開設
1955年東尼崎診療所開設
1959年長洲診療所開設
1960年台大気汚染が深刻に
※住民の運動がはじまる!
1964年潮江診療所開設
1963年9月尼崎医療生活協同組合創立
1974年3月尼崎医療生協・東尼崎医療生協・戸ノ内医療互助会が統一合併し、尼崎医療生活協同組合設立
1977年戸ノ内歯科診療所開設
1981年尼崎医療生協病院開設 111床
1989年第一次5ヵ年計画策定
1992年生協歯科開設
1995年阪神淡路大震災
1995年6月病院66床増床・リニューアル199床
1996年第二次5ヵ年計画策定
訪問看護ステーションを市内各地に開設
支部づくりが広がりはじめる
2000年1月尼崎大気汚染訴訟神戸地裁で完全勝訴
2000年3月3法人合併25周年「1万5千人の健康まつり」開催
介護保険制度に合わせてヘルパーステーションを各地に開設
尼崎大気汚染訴訟和解成立
2001年1月8日生協病院で1万人目のベビー誕生
2001年5月第三次5ヵ年計画策定
2002年在宅総合センター「ふる里」開設
社会福祉法人虹の会設立、事業移管
2005年深刻なアスベスト被害対策に全力
2005年2月特別養護老人ホームの寄付金運動を臨時総代会で確認
(同年7月5日1億円目標を突破)
2005年5月チャレンジの年として3年間で建設運動を成功させることを総代会で確認
2006年4月尼崎市「中央西」地域包括支援センター開設
2006年5月ISO9001:2000の認証を取得(2006年5月23日付)
2006年8月特別養護老人ホーム「あまの里」竣工
2007年5月尼崎医療生協病院竣工(新築移転)
2008年4月介護老人保健施設 ひだまりの里 開設
2008年9月生協歯科新築移転
2009年3月医療生協では全国初の無料低額診療事業開始
2010年5月「5.30クボタ包囲人間の鎖」行動に1,000人を超える参加
2011年3月東日本大震災発生翌日から宮城・坂総合病院へ医療支援隊派遣しその後も継続派遣
2011年4月~みやぎ県南医療生協とともに宮城県山元町支援開始、その後、民医連・医療生協近畿ブロックとしてのボランティア活動を展開(6.11復興支援近畿総行動デーでは、近畿の医療生協・民医連の協力で大型バス9台300人が宮城県山元町に支援活動を行う)
2012年8月尼崎アスベスト裁判(環境型)判決
“勝訴”~アスベスト公害で初めて企業責任を認める
2013年10月福島原発事故被災地視察(16人)
2014年3月尼崎アスベスト裁判(環境型)判決
“勝訴”~再びクボタの企業責任を認めるも、国の責任は認めず。
2014年11月尼崎医療生活協同組合合併40周年記念レセプション 都ホテルニューアルカイック
2015年6月特別養護老人ホーム「立花あまの里」竣工
2017年2月第四次5ヶ年計画策定
2019年2月本田診療所新築リニューアル
2020年1月新型コロナウイスㇽ感染症の拡大を受けてWHOが緊急事態を宣言
2020年2月民間病院として市内最初に「帰国者:接触者外来」を開設
2020年3月尼崎医療生協病院分娩事業終了
2020年5月訪問看護ステーションわかば休止(統合のため)
2021年7月戸ノ内歯科閉院
2021年11月第五次3ヵ年計画策定
2022年3月戸ノ内診療所閉院
2024年4月立花北地域包括支援センター受託
2025年2月民主医療運動発足75年、尼崎医療生協合併50周年式典 450名 アルカイックオクトホール
2025年7月看護小規模多機能居宅介護 にじのきずな竣工(予定)